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ベイ子の「千葉シティ 魅力見つけて感じ隊っ!」
こ、この薄い石は!!
- あ!東さん、もしかしてあそこに重ねられている石は屋根の?
- そうなんですよ。耐震改修工事で葺き替えた昔の屋根です。
- わー、これが屋根に!!
- 当館は、設立時すぐそこまで海だったので塩害対策とするため、外壁には常滑焼煉瓦を使用し、屋根は雄勝石製の天然スレートを3枚重ね葺として使われていました。
屋根の荷重軽減のためにこの天然スレートから金属板に葺き替えました。 - 雄勝石、美しい!綺麗ですね。
- あ、これスレートを留める釘なんですけど、錆びないように銅釘を使ってたんですよ。
- 徹底してますね。
中庭から展示棟を眺める
- 40年前に建設されたとは思えない、モダンな感じです。今で言う和モダンですね。
- 建築家大高正人さんは傾斜した屋根どうしを組み合わせる構造にこだわったようです。
傾斜した構造材をそのまま雨樋として利用するのも建築上珍しいですし、内装もコンクリート打ちっぱなしではなく人の手を加えて加工して無機質にならないよう造られています。
建築家 大高正人(1923-2010)
1923年福島県田村郡三春町生まれ。1944年に旧制浦和高校を繰り上げ卒業し、同年9月東京大学第二工学部建築学科(現 千葉大学西千葉キャンパス付近にあった)に入学、1947年に同大大学院を修了し、前川國男建築設計事務所に入所、その後1962年に独立して大高建築設計事務所を設立。
千葉県内で手掛けた主な仕事は、千葉文化会館(1967)、聖賢堂(1967)、千葉県立中央図書館(1968)、日本大学生産工学部図書館(1973)、千葉県立美術館(1974)
なぜここにこんな作品が!
- 「なぜここにこんな作品が!」という作品があるのですがご覧になりますか?当美術館に訪れた方ほとんど知らないんじゃないかな?
- 見たいです。
- (施設図の★マークの位置で立ち止まり)これなんです。
- わ・・・すごい・・・・・・・え、なぜ?あれ、ここって入口でもないですよね
- 題名を見ていただくと、歴史的なことも関係しているのかと
- この迫力って・・・。ここで鉄の仕事しているかのよう・・・。みんなに観てもらいたいです。
- 多分設置者も注目して観てもらいたかったのだと思います。台座がここまで高く造られているのは、みなさんに作品の価値を知ってもらいたいという意図です。また、台座もなくそのまま置いている作品は触れて親しんでほしい作品なのです。
- この台座の高さ、なかなかないですよね。
藤野天光 「銃後工場の護り」 昭和13年
本作品は、昭和13年の文展(日展の前身)において特選となり、翌14年のニューヨーク万国博覧会に日本から選ばれて出品され好評を得た。
制作中の逸話として、締切直前に粘土の原型が崩れたため、藤野は出品を諦めかけたが、彼の制作に対する意気込みに感激したモデルの労働者が、勤務終了後の夜間に再びモデルに立ち、約二週間不眠不休で作り直して完成させたという。
その命がけの結果が最高の栄誉を得たのだから、二人の感激は計り知れないものがあったに違いない。
どうしてお墓が!
なんと美術館の敷地内にお墓がありました。
この40年の間に誰か・・・と思いましたが、美術館のお墓は書道の筆のお墓でした。
「筆」と彫られた石の前には使われた筆が葬られています。
道具に感謝する気持ち大切ですよね。
え?木から指が・・・!
美術館入口からエントランスに入り左側の窓を除くと中庭が見えます。
中庭にある木からなんと指が出ているのです!
表側には指、裏側には手首部分がきちんと出ているので軍手で間違いないですが、この軍手、
庭の作業をした人が木にかけて忘れたらしいのですが、誰にも発見されずに何十年もの月日が流れたようなのです。気がついたら、木が軍手を抱き込んで成長していたそうです。
この中には関係者以外入ることができないので、直接見ていただくことはできないのですが、今回特別に写真を撮らせていただきました。
いよいよ展示棟に向かいます。
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